英語を勉強したい!のきっかけ

はじめに

皆さんの中に、英語を話せる人どれくらいいらっしゃいますか?

英語というと、単語が覚えられない、発音が難しい、読むのはできても書くのは・・・、そもそも勉強できる場所がない、という人が多いと思います。

実は私自身、中学、高校と英語が大嫌いで、話せたらかっこいいなとは思うもののなかなか勉強する気になれなかった人でした。

しかしながら、私は学生時代からほぼ独学で英会話スキルを身に着け、今では日常会話レベルならばこなせるようになり、TOEICも670点を獲得できるようになりました。(まだまだ中間ですが、、、)

今日は英語で悩む皆さんに、第一歩を踏み出す勇気を与えられたらいいなと思い、私の経験談を書くことにしました。

英語への意欲が沸くきっかけ

それは大学1年時代、とりあえず入学した大学で私は目標も、やる気も何もなく、ぼーっと過ごしていました。当時の私は英語に全く興味がなく、大学の英語のクラスも最底辺の基礎クラス、週2回の授業はさぼりたい放題でした。

そんな私が英語に目覚めたきっかけは、高校時代の部活の先生に誘われて行った台湾でした。

私は高校時代テニス部に入っており、たまたま私が大学1年生の時、後輩が台湾遠征に行くことになったので、先生が同伴しないかと誘ってくれたのでした。

当時の私は、家族で海外旅行に行った経験はあるものの、海外には全く興味がありませんでした。しかし、大学生活もパッとしなかったので、「暇だしとりあえず行くかー」と、軽いノリで参加しました。

f:id:shimashimagurashi:20190226111013j:image

しかし、これが私のその後の意識を大きく変えたのです。遠征は、現地の高校生や大学生との合同練習や試合が主でした。私は同伴で言ったのですが、台湾の学生たちが友達になろうと寄ってきてくれたのでした。私も他国籍の人と触れ合う機会がほとんどなかったので、嬉しくなりすぐに仲良くなりました。しかし、ここで問題が。台湾人は中国語、日本人はもちろん日本語しか知らず、お互いなかなか意思の疎通を図ることができませんでした。

悔しい。こんなときに英語が話せれば・・・

それがきっかけです。

 

挫折のベトナム

台湾で異文化交流を楽しんだ私はウキウキで帰国しました。友達ができたことが何よりうれしかったですし、外国って面白い!そう思ったのでした。

となれば、もっといろいろな国に行きたいと思うのが性。私の冒険心が爆発したのでした。半年後、ベトナムを訪れます。初のバックパッカーというやつですね。

f:id:shimashimagurashi:20190226111115j:image

ここで私は絶対に忘れることのできない印象的な経験を2つすることになります。

1つ目は、最初に訪れた都市、ダナンでの夜のことでした。私はバックパッカーらしく二段ベッドが沢山ある安宿に宿泊していました。しかし、初一人海外でビビりまくりだった当時の私は、一人で夕食を食べに出かける勇気もありませんでした。そんなとき、一緒の部屋に宿泊していたアメリカ人のダンディなおっさんが暇そうにしていたので、拙い英語で夕食を食べに行こうと誘いました。するとたまたまロビーにいたチェコ人のカップルも合流し、4人で街に出かけました。

いざ4人で出かけると、私以外の3人は英語がペラペラで、楽しそうに話しているのを私はわかったふりを市ながら横で聞いているのでした。特に、アメリカ人のおっさんとチェコ人のおっさんは気があったらしく、ずっと喋っていました。だんだん会話がヒートアップしていき、酒も入り気持ちよくなった二人は、言葉の通り弾丸トークを始めます。どちらか数秒話せば片方が数秒話す。それは5件はしごして0時過ぎにホステルに戻るまで続きました

f:id:shimashimagurashi:20190226111204j:image

端で眺めていることしかできなかった私には衝撃でした。自分もこんな風に話したいと思ったと同時に、話せないもどかしさがこみ上げてくるばかりでした。

2つ目は、次に訪れた都市、ホーチミンでの出来事です。ダナンからホーチミンまで移動する列車の中で、私はカウチサーフィンを使ってホストを探していました。

(カウチサーフィンについては以下の記事も併せてどうぞ)

shimashimag.hatenablog.com

するとホーチミン在住の一人の女性がカフェに行きませんかと誘ってきました。当初のチャットでのやりとりから、かなり英語が堪能な人という印象でしたが、良い人そうなので軽い気持ちで会ってみることにしました。自分の身度ほども知らずに(笑)

市内のカフェで会ったその女性は、高校教師で英語を教えているとのことでした。楽しい時間を過ごせるかと思いきや、ここで地獄を味わいます。

その人は英語教師なだけあってすごく流暢に話してきます。当時の私はと言えば、、、聞き取ることもままなりませんでした。何か質問されていることはわかるのですが、意味が理解できず、想像で答えてはトンチンカンな答えを連発していたのでしょう(自覚あり)、次第に女性も疲れて溜息が漏れ始めます。しかし私の語学力ではどうすることもできず、注文したかき氷をほおばるばかり。相手の機嫌がどんどん悪くなるのは明らかでした。ここから逃げ出したいと思うしかなかったのと、カウチサーフィンなんて使わなければよかったというネガティブな感情だけが沸いてくるのでした。

その後、女性とは間が持たなかったので1時間ほどで解散しました。

悔しい。その思いだけが残りました。

しかしその悔しさがあったからこそ、帰国後、徐々に勉強をはじめ、カウチサーフィンを使うのも一時はトラウマになりかけましたが、失敗してもいいや精神で日本でどんどん外国人をホストしました。

その女性にあった当時は、そんなに怒らなくてもいいじゃないか!と思っていましたが、今となれば私の闘志に火をつけてくれたその女性には感謝です。

f:id:shimashimagurashi:20190226111247j:image

その後

その後の私は、カナダへ語学留学、月一回のカウチサーフィンで会話力の向上、スリランカで現地学生とディスカッションと能動的に英語に触れる機会を増やしていきました。

全ては、悔しい!と思った経験と感情が私を動かしました。

社会人になった私ですが、まだまだ英語学習の意欲は持ち続けており、英語で仕事をする機会も今後は得ていきたいと思っています。きっとこれからも悔しい経験はしていくのでしょうがその度にそれをバネにして伸びていきたいですね!